読書感想文

【夏休みの宿題 ’17】『木を見る西洋人 森を見る東洋人』読了。

投稿日:2017/09/03 更新日:

いま、会社のグローバル関連の長期研修に参加しています。先日の研修で、参考書が紹介されましたので、夏休みの宿題と称して、何冊か読んでみることにしました。

夏休みの宿題 ’17

以下、目次です。この記事では5冊目をご紹介します。

  1. 『「世界で戦える人材」の条件』著:渥美育子
  2. 『砂の文明 石の文明 泥の文明』著:松本健一
  3. 『日本 -その姿と心-』
  4. 『沈黙のことば』著:エドワード・T・ホール
  5. 『木を見る西洋人 森を見る東洋人』著:リチャード・E・ニスベット

『木を見る西洋人 森を見る東洋人』

以降、気になった点について、本文を引用しながら、僭越ですがワタシの見解や感想も添えて書いています。

木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか

現代の東アジア人と西洋人の認知の違い

第2章で、古代における東西の違い(孔子とアリストテレス)が現代にも通じているという前提で、両者には以下のような認知の違いがあるとの予測が立てられていました。

●注意と知覚のパターン……東洋人は環境に多くの注意を払い、西洋人は対象物に多くの注意を払う。東洋人は西洋人よりも、出来事の間の関係を見出そうとする傾向が強い。
●世界の成り立ちについての基本的な仮定……東洋人は実体、西洋人は対象物から成り立っていると考えている。
●環境を思いどおりにできるか否かについての信念……西洋人は東洋人よりも強く、自分の思いどおりに環境を変えられると信じている。
●安定と変化に関する暗黙の仮定……西洋人は安定を、東洋人は変化を仮定している。
●世界を体系化する習慣……西洋人はカテゴリーを好み、東洋人は関係を強調する。
●形式論理学の使用……西洋人は東洋人よりも、論理規則を用いて出来事を理解しようとする。
●弁証法的アプローチの適用……明らかな矛盾に直面したとき、東洋人は「中庸」を求め、西洋人は一方の信念が他方よりも正しいことにこだわる。

『木を見る西洋人 森を見る東洋人』P58-59

東洋人と西洋人の両者にこういった違いがあることを念頭に置いておくだけでも、コミュニケーションに役立ちそうですね。

相手によって自分が変わる東洋人

環境に注意を向ける東洋人は、相手によって「自分」の呼称が変わり、「自分」を説明する時にも環境を意識した“限定”を設けると言及されています。

(前略)日本語には“I”を意味する言葉が数多くあり、聴き手や状況に応じて使い分けられる。(中略)男性が大学の仲間とおしゃべりするときなら、「僕」または「俺」を使う。父親が子どもに対して話すときには「お父さん」と言う。(中略)また、日本人はしばしば「自分」と言う表現も使うが、これは「自らの取り分」と言う意味である。

『木を見る西洋人 森を見る東洋人』P66

「あなたはどんな人ですか」という質問はややストレートすぎる気もするが、この問いに対する答え方には、社会により違いが非常によく現れる。アメリカ人やカナダ人の場合には、自分の性格特性、役割カテゴリー、趣味の活動に関する答えが多い。(中略)一方、中国人、日本人、韓国人にとっては、事故は文脈に依存する度合いが極めて大きい存在である。
 ある研究では、日本人とアメリカ人に対して、特定の状況における自己と状況を特定しない場合の自己について記述するように求めた。日本人にとっては、状況を特定せずに自らを記述するのはとても難しいことであるという。対照的にアメリカ人は、状況を特定されると困ってしまい、「私は私だ」などと書く傾向があった。

『木を見る西洋人 森を見る東洋人』P67

これは面白いですね。ワタシが同じ質問を受けたら、「自分でもよくわかりません」とか答えてしまいそうです。東洋人にも西洋人にも属しない回答…宇宙人なのかもしれませんね(笑)

苦手を克服する東洋人と得意を伸ばす西洋人

また、東洋人と西洋人では自己への評価が対照的で、前者は自己への評価が低く自己批判をする傾向にあり、後者は自分のことを実際以上に良く評価する傾向にあるとし、実験結果からもそれを明らかにしています。

(前略)実験に参加したカナダ人と日本人の学生は、「創造性テスト」と称する架空の試験を受け、その採点結果として「非常によい成績」または「非常に悪い成績」を受け取った。その後で実験者は、参加者がテスト課題とよく似た練習問題にどのくらいの時間にわたって取り組むかを密かに計測した。
 カナダ人は自分が成功したときに、類似の課題により長い時間取り組んだ。一方、日本人は失敗したときに、より長い時間取り組んだ。

『木を見る西洋人 森を見る東洋人』P70

これは両者の学校および家庭での教育の特徴をよく表していそうですね。得意(個性)を伸ばそうとする西洋人と不得意(欠点)を解消しようとする東洋人。

西洋の教育は受けたことがありませんが、日本の教育では、正解できたところはそれ以上やる必要はなく、不正解だったところを正解できるようになるまで繰り返しやって(復習)、100点を目指そうとするようなところがありますよね。

それぞれの文化や社会に応じた教育方針なので、良し悪しを語るものではないと思いますが、今後はどちらかを自分の軸としつつ、もう一方にも踏み込む経験を持って、ハイブリッドな自分を構築していくのが良さそうですし、面白そうです。

話し手と聴き手のどちらに責任があるか

コミュニケーションについての暗黙の了解にも東西で差があり、それは子どもの頃に親から求められることにも違いがあるそうです。

(前略)西洋人は子どもに、自分の考えを明確に人に伝える「発信機」であれと教える。話し手には、聴き手が明確に理解できる言葉、さらに言えば、その場の状況と無関係に理解できる言葉を発する責任がある。もしコミュニケーションがうまくいかなければ、それは話し手の責任である。
 これと対照的に、アジア人は子どもに、よい「受信機」であれと教える。(中略)もし、子どもが大声で歌を歌っていてうるさいと思ったら、たいていのアメリカ人の親は、ただ「静かにしなさい」と言うだけである。(中略)これに対してアジアの親は「お歌がお上手ねぇ」などと言うことが多い。最初、子どもは喜ぶが、そのうち何か別の意味があると気づき始め、結局、もう少し声を小さくするか、歌うのをやめるかすることになる。

『木を見る西洋人 森を見る東洋人』P75

東洋人は、まさに「言外の空気を読ませる」わけですね。褒められたと思ったら、その逆だったと。これは卑屈になるなぁ。

ワタシが子どもの頃も、家庭や学校でこのような言われ方をされたことがありますね。自分が良かれと思って言ったりやったりしたことを褒められていると思いきや、実はやめなさいと暗に言われていた…。

でもこれ、最近変わってきていると思いませんか?例えば、街中で親子がいて、子どもがうるさくしているとしても、こういう遠回しな言い方で注意をされているのは見たことがないです。単なる西洋化の可能性もありますが、いろいろ余裕がなくなってきていると見ることもできそうですね。遠回しにできるのって、ある意味で余裕の表れだと思いますので。

ヨーロッパが持つ「ビッグ・ピクチャー」の感覚

ワタシの今の仕事では、ITに関する標準化が関係することも多くありまして、現在主流になっているもののほとんどがヨーロッパ発信であることに気づいていたのですが、なるほどと思う記述がありました。

 ヨーロッパ大陸の人々の社会的態度や価値観が東アジア人とアングロ・アメリカ人の中間であったことにも見られるように、大陸の知の歴史はアメリカや英連邦に比べれば全体論的である。アメリカは、大陸よりもはるかに「ビッグ・ピクチャー」の感覚が乏しい。

『木を見る西洋人 森を見る東洋人』P101

これはあくまでワタシの印象論ですが、これまでのアメリカ発信の標準化は基本的に“今”の標準仕様を決めるためのものでしたが、最近のヨーロッパ発の標準化は10年や数十年先の理想像があり、理想にたどり着くためのマイルストーンが描かれたロードマップをもとに標準仕様の策定を進めているように思います。

上記引用にある「ビッグ・ピクチャーの感覚」の有無から、この印象論を説明できる気がした次第です。

西洋人の文章技法

個人的なメモです。ブログを開設し、書評めいたものまで書いておきながらナンですが、文章を書くのが苦手なので、論理的な文章の組み立てを学びたいと思っています。

(前略)西洋の文章技法は、化学レポートから施政方針にいたるあらゆる文章の基本である。これには通常以下のような形式がある。

 ●背景
 ●問題
 ●仮説または命題の提起
 ●検証の方法
 ●証拠
 ●証拠が何を意味するかについての議論
 ●予想される反論の論破
 ●結論と定義

 西洋人ならほとんど誰に聞いても、この形式は普遍的なものだと言う。これ以上明快かつ説得的に、自分が発見したことや提言したいことを人に伝える方法があるだろうか。(後略)

『木を見る西洋人 森を見る東洋人』P219

大枠の流れとしては、日本で一般的に学ぶ起承転結とほぼ同じように見えますが、検証や反論の想定までカバーしているのは大きな違いですね。確かにそれらの有無で説得力に差が出ます。

環境変われば人も変わる

ここまでは、人類の長い歴史や人が成長する過程で受けた教育などから東西の違いが説かれてきましたが、環境が変われば人も割と容易に変わるという実験結果が紹介されていました。

 北山忍と共同研究者たちによれば、比較的短い期間別の文化で過ごしただけでも認知プロセスの修正がなされることがあるという。(中略)まず、日本人とアメリカ人の実験参加者に対して、四角形のなかに一本の線分が引かれた図をいくつか見せた。それから室内の別の場所に移動してもらい、先ほどとは大きさの異なる四角形を見せて、その四角形のなかに、先ほど見たものと同じ長さの線分、または同じ比率の線分を描くよう参加者に求めた。アメリカ人は同じ長さの線分を描くほうが正確だった。つまり、アメリカ人は文脈を無視することに長けていた。日本人は同じ比率の線分を描くほうが正確だった。つまり、日本人は対象物と文脈を関連づけることにより長けていた。
 北山らはさらに、日本に住んだことのあるアメリカ人(二、三ヵ月程度)と、アメリカに住んだことのある日本人(二、三年程度)の描いたものに注目した。日本に住んだことのあるアメリカ人は明らかに日本人に近い傾向を示していた。アメリカに住んだことのある日本人にいたっては、純粋なアメリカ人とほとんど区別できないほどだった。

『木を見る西洋人 森を見る東洋人』P251-252

面白い実験結果ですね。筆者もこの結果だけから、別の文化に入ったことで行動の変化が生じたと言い切ることはできないと言っていますが、こういう傾向があることは確かなのでしょうね。

感想

漠然と違いがあると感じていた東洋と西洋の違いについて、豊富な実験結果とともに論じられていて、一つ一つ納得しながら読み進められました。

そういう意味では、本書の書き方は非常に西洋的と言えるのかもしれません。同様の論旨の本は日本語著者のものも何冊か読んでいますが、ここまで数多くの実験結果や引用に基づいて書かれたものは見たことがないように思います。なんてことを検証や証拠なしにつらつら書くのはまさに東洋人な書き方かもしれませんね。

今後、個人的には、西洋の方とのコミュニケーションが増えていくでしょうし、説得力の高い文章を書く必要も出てくると思います。本書で得た知見を活かしていきたいところです。

(おわり)

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桃猫家の夫です。 プロフィールは こちら。 桃猫家.net では、運営やデザイン等の総合プロデュースとクルマやテクノロジに関する記事の執筆をしています。

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